3月末で根室線・富良野~新得間が廃止となり2ヶ月が経ちました。東鹿越~新得間は2016年8月の台風10号の影響で被災しバス代行が続いていたので、その日に列車の運行を終えたのは富良野~東鹿越間でした。被災区間は復旧せずに廃線となりました。
この区間はかつては道央と道東を結ぶメインルート上でしたが、石勝線の開業により優等列車が軒並み石勝線経由に移行しました。最後まで残った急行「狩勝」も1990年に廃止となり、ローカル列車が走るだけの区間になりました。「狩勝」という列車名は急行廃止後も旭川~帯広間の快速列車として残りました。
私個人的には日高線や留萌線のような枝線はともかく、この区間は貨物輸送のための石勝線の迂回ルートとして利用価値があったのではないかと思っていたんですが、肝心のJR貨物にその利用意向がなかったようです。たぶん石勝線が不通になった時はトラックやフェリー代行を想定しているんでしょうが、昨今運転手不足が喧伝されている中でトラック輸送で貨物列車の代替が務まるのか、本当にそれでよかったのか一抹の不安を感じます。
最終日の3月31日は春休み期間中の日曜日ということで多くの人で賑わいました。私も30日から4月1日まで当地に滞在し最後を見届けてきました。
富良野駅で購入した廃止区間最終日の乗車券です。「東鹿越まで往復ください」と伝えて普通だったら往復券が発券されるはずがなぜか片道ずつで発券されました。特に理由は聞かなかったんですが、よくよく考えてみると今日が最終日で明日は列車が走らないからあえてそういう出し方をしたんだろうなと思いました。
普段はワンマン運転ですが3月29日から廃止最終日の31日までは3~4両編成で運転され、旭川車掌所の車掌が乗務していました。そのため使用した乗車券にチケッターを入れてもらうことができました。こういうのも廃止間際ならではなのかもしれません。
昨年3月の留萌最終日と運用が大きく違った点がありました。JR北海道のワンマン列車で乗降できるドアは運転席後ろのドアのみです。留萌最終日には4両編成でもその原則が徹底されたので乗降に時間を要しダイヤが乱れに乱れましたが、今回は全ドア開放したので乗降はスムーズで列車の遅れも最大15分程度だったと思います。
そして全ドア開放していたので下車時のきっぷの回収はほぼ行われませんでした。留萌最終日の時は廃止区間を含んだ乗車券でも運転士が容赦なく回収していたのとは対照的な扱いでした。ダイヤの乱れと混雑による混乱を防ぐための措置だったと思われますが、使って残したいと思う私のようなきっぷヲタにとってはありがたい限りでした。
最終日の3月31日はレンタカーと列車を併用しながらフォロワーさんと一緒に列車を撮影したり乗り降りしたりしていました。せっかく富良野まで来たんだから最終列車に乗りたいという欲求があったので混雑承知で突撃してきました。
4両に増結されていたのですし詰めというほどの混雑ではなく、思ったより余裕があるなという印象でした。通常こういった最終列車は「蛍の光」の演奏で見送られがちですが、ここは富良野らしく「北の国から」のブラスバンドの演奏で見送られました。
東鹿越駅は暗い上にホームが狭く一部に雪が残っていました。そこに4両編成に満載した客が一気に吐き出されたので、誘導に多くの警備員や係員を配置してとにかく雑踏事故が起きないよう神経を尖らせていました。
東鹿越駅に到着した乗客はいったん全員降ろされ、折り返し富良野行き最終列車に乗りたい人は駅前に並び直しとなりました。上の写真左手の三角屋根が駅舎で、駅舎の前の広場は人で埋まっています。2~3台見えるバスは新得方面の代行バスです。8年近く続いた代行バスも不通区間の廃線によってこの便が最終便となりました。
名実ともに廃止区間を走る最終列車となった9482Dは富良野から到着した9481Dより格段に混んでいました。私のような9481Dからの折り返し客に加えて、9482Dに乗るために早い時間から待っていた人や新得方面からの代行バスの客もいたためと思われます。私もずっと厳しい姿勢で我慢しながら立っていました。
9482Dは途中鹿の飛び出しがあって少し遅れて富良野に到着しました。私は富良野に宿を取っていたので「ぬのべ」の残った富良野駅の駅名板を撮って富良野で離脱しました。列車自体は滝川行きで滝川で札幌行きの特急に接続しており、半分以上の客が滝川方面まで乗って行ったように見えました。
翌日はレンタカーで少し廃線区間の様子を見てきました。前夜のうちに踏切の遮断桿は撤去され線路には立入禁止の柵が立てられています。こういう仕事は速いです。
廃線最終日と翌日に布部駅も訪れてみました。駅の西側に見える山々は相変わらずきれいですが、駅名標が撤去されているのが分かります。こういう光景は毎度お馴染みではありますが何度見ても寂しいものです。
今回の根室線・富良野~新得間の廃線によってJR北海道がバス転換を目指していたいわゆる赤線区はほぼ片付きました。あとは留萌線・深川~石狩沼田間を残すだけとなります。しかし、黒字化の前提としていた北海道新幹線札幌開業が年単位で遅れることが確実となったため、先行きの不透明感はかえって増した感はあります。