只見雪まつり
◆種別:快速
快速「南三陸」の運用から外れ、定期運用がなくなったJR東日本小牛田運輸区のキハ28・58系はその後保留車となり、動向が注目されていました。昨秋の快速「風っこ仙山もみじ」号で使用されていた車両もありましたが、その後特に動きはなくそのまま廃車になると思っていました。ところが、昨年暮れにリクライニングシートを装備した2両が年末に郡山工場へ入場し、車体を東北地域色(右の写真の右側の車両)から「修学旅行色」に塗り替え、年明け1月に装いを新たに登場しました。
「修学旅行色」と言われても私にはピンときませんが、国鉄色の肌色部分が濃くなった感じです。非電化区間の修学旅行用の車両として昭和37~8年に製造され、昭和50年代半ばまでこのカラーで走っていたとのことなので、実際に記憶があるのは40歳以上の世代でしょうか?
このキハ28・58系2両が2月9・10日に会津若松~只見間で運転される快速「只見雪まつり」号で初めて一般向けの列車で使用されることになりました。いちおう通勤途中の駅で事前申込をしてみました。申し込み順が3番目だったので、取れなかったら深追いせず諦めるつもりでした。残業で遅くなり、窓口が閉まる直前ギリギリに取りに行けました。
駅員:「せっかくお申込いただいたんですが、お取りできませんでした」
私:「やっぱりそうでしたか」
駅:「今あるかちょっと見てみましょうか?」
私:「そうですね。とりあえず帰りの分をお願いします。」
駅:(端末を操作しながら)「帰り1席だけ出ましたね。通路側ですけどお取りしますか?」
私:「お願いします。ついでに行きもあれば」
駅:(端末を操作しながら)「あー行きも1席あるなぁ…。これもお取りしますか?」
私:「それもお願いします。」
という具合に運良く往復とも取れてしまいました。夜遅かったので、ダブって取れてしまった分の戻しがあったんだと思います。こんなところで運を使い果たしている場合ではないんですが(爆)
そして当日。会津若松駅で見た「修学旅行色」はどうも違和感がありました。まさにカラシ色の国鉄色でした。正直なところ、「修学旅行色」の現役当時を知らない私には「別に国鉄色でも良かったんじゃないの?」と思いました。そして窓ガラスが黒くなっているのが気になりました。最初は光の反射の加減でそう見えるかと思っていたんですが、ブラインドを撤去し内側からUVカットガラスがはめ込まれ、窓が開かないよう改造されていました。これはちょっと残念に思いました。冬場だから窓を開く必要性はありませんが、夏場はちょっと物足りなさを感じると思います。
下り 10:20 → 11:00 → 11:39 → 12:36
上り 15:47 ← 15:19 ← 14:43 ← 13:36
乗車率は往復とも半分弱でした。定期列車で会津若松から只見へ行くには、7:37を逃すと次は13:08までありません。「只見雪まつり」号は時間的にもちょうどいいだけに全車指定席のヲタ列車としたのはどうかと思いました。もっとも、指定券を持たない地元っぽい人が少し紛れ込んではいましたが…。
また、只見での滞在時間はきっかり1時間だったので、列車の写真を撮って、雪まつりを見学して、露店で適当に食事をしたらあっという間に時間が経ってしまいました。帰りはもう少し遅くてもいい感じがしました。
ところで、往復とも私の席の近くに0.12tはありそうなデブヲタが座っていました。彼はトーンの高い咳を連発し、脂汗かいて苦しそうでした。「体調悪いならこんなとこでヲタ列車なんか乗ってないで、家で大人しくしてろよ」と思いました。言い方は悪いですが、ウイルスを撒き散らされているようでちょっと嫌な感じがしました。そして、嫌な予感というものは当たるようで、只見から帰った3日後に風邪を発症し、丸2日自宅で倒れていました。風邪自体はもう治っていますが、いまだに空咳が止まりません。ひょっとしたら単なる風邪ではないのかもしれませんが…。