続・吾輩はヲタである

JR券をメインとしたきっぷのブログ

群馬県民の日(中)

ぐんまフリーパス

N0193

 この日帰り旅行では「ぐんまフリーパス」というきっぷを使用しました。群馬県民の日にのみ発売されるきっぷなので、1年に一度しかお目にかかれないレアな代物です。フリーエリアは新幹線を含む群馬県内のJR線で、以下のとおりです。

【フリー区間】

  • 上越新幹線…高崎~上毛高原
  • 長野新幹線…高崎~安中榛名
  • 高崎線…新町~高崎
  • 上越線…高崎~土合
  • 信越線…高崎~横川
  • 両毛線…新前橋~桐生
  • 八高線…群馬藤岡~倉賀野
  • 吾妻線…渋川~大前(全線)

 新幹線や特急列車を利用する場合は特急券の購入が必要です。かつてはお隣の埼玉県でも11月14日の埼玉県民の日に「さいたまフリーきっぷ」を発売していましたが、こちらは一昨年から発売しなくなっています。

Daikobus (軽井沢~横川間代行バス)

 このきっぷを持っていたので、横川駅では入場券代わりに使えたりもしました。一通り写真を撮り終えてからEL発車までの3時間余りの過ごし方を思案しました。隣接する「碓氷鉄道文化むら」はヲタのほとんどが流入しそうなので最初に消しました。軽井沢までJRバスで往復する時間はありましたが、軽井沢1時間40分の滞在では食事とその待ち時間でほぼ終わります。信越線の廃線跡を2.5Kmほど登った先に「峠の湯」という温泉施設がありますが、以前一度行ったことがある上に30分も歩けば着いてしまうので逆に時間が余りすぎてしまいます。

 そこで地図を見て思い立ったのはかつての信越線の名所「眼鏡橋」まで行くことでした。距離は4.7Kmで早足で行けば上り坂を考慮しても1時間ちょっとで着けます。往復で2時間歩いて、1時間「峠の湯」で温泉に浸ればちょうど3時間潰すことができます。

Usui_yuuhudou (左が線路で右が遊歩道)

 「峠の湯」までの遊歩道は信越線の路線跡を利用しています。複線のうち片側は線路や路盤がそのまま残されていて、もう片側を柵で仕切ってコンクリートで固めてい遊歩道としています。残された線路は鉄道文化むらの「シェルパくん」という列車もどきの乗り物が鉄道文化むらと「峠の湯」を結んでいます。架線・架線柱や信号設備(?)もそのまま残っていて、ちょっと整備してやれば再び列車を走らせることができそうな感じがしました。

Maruyamahenden (旧丸山変電所)

 この区間はJR随一の急勾配区間でしたが、自分の足で歩いてみると改めて実感できます。私は横軽時代を知っている世代ですが、こんな急坂だったとは思いませんでした。15分ぐらいかけて坂を上ると右手に2棟のレンガ造りの立派な建物が見えました。旧丸山変電所です。明治45年に建設され、昭和38年の新線開通まで使われました。平成6年に重要文化財に指定されたものの、荒れ放題で廃墟と化していました。廃線後の平成12年より修復工事が実施され、現在のきれいな姿を取り戻しています。ちなみに建物内部は空で、立ち入ることはできません。建物を眺めながら草むらで弁当を食べている夫婦を見かけました。

Shinetsu_tunnel (旧線のトンネル)

 さらに10分歩いてほぼ中間点に当たる「峠の湯」にたどり着きました。ここでは素通りし先を急ぎます。信越線は右手に別れ、左手の旧線の廃線跡をひたすら眼鏡橋に向かって歩きます。旧線は明治26年に開通し、昭和38年まで使われました。線路はさすがに剥がされていますが、築堤やトンネルは鉄道が通っていた頃の面影を留めています。トンネル内部も必要な補強は適宜施されていましたが、レンガを組んで作った内部の作りは今でも確かめることができます。

Kyushinetsu (眼鏡橋から見た信越線)

 時間の制限があったので、上り坂を黙々と早足で歩きました。横川駅を出発して50分で眼鏡橋に到着しました。眼鏡橋から山側の景色を眺めると色づき始めた山々の間から信越線の鉄橋が見えます。架線や架線柱も撤去されずに残っています。今にも電車が走ってきそうな感じさえしました。

Meganebashi (国道から眺めた眼鏡橋)

 眼鏡橋は下から眺めないとあまり意味がありません。国道に繋がる階段があって、それを下りていきました。堂々たる威容です。以前、バスで横を通った際にチラ見したことはありましたが、立ち止まって間近で見たのは初めてでした。明治に建設されたとはいえ保存状態は良好でした。きっと大事に保存されていたんだと思います。立ち止まってしばらく眺めてこそ良さがわかると思います。

 あとは下り坂を「峠の湯」まで戻りました。最後の顛末は後編に続きます。