留萌線・石狩沼田~留萌間が3月末で廃止されました。末端部の留萌~増毛間が廃止されたのが2016年12月で、それから6年余りでまたブツ切りされることになりました。
6年の間に深川留萌自動車道が留萌市中心部近くまで延伸し、留萌市にとって留萌線の優先度が低下したことで、留萌市が路線の維持に消極的な姿勢に転じ、存続でまとまっていた沿線自治体の足並みが乱れました。
そこにJR北海道が石狩沼田~留萌間を2022年度末、残る深川~石狩沼田間は通学客の利便性を考慮し2025年度末で廃止する提案をし、沿線自治体が合意しました。3年後には留萌線という路線自体が消えることになります。
普段は1両編成でしたが、廃線直前の乗客の急増に対応するため、ダイヤ改正後の3月18日~30日の間は全列車2両編成に増結し、最終日の3月31日はキハ54-キハ150-キハ150-キハ54という普段の運転では見られなかった4両編成に増結し、深川方と留萌方に異なるデザインのヘッドマークを取り付けました。
最近の留萌線と言うとひたすらキハ54のイメージで、キハ150は代走でたまに入るイメージでしたが、函館線(山線)の運用を終えて旭川運転所に転じてからは留萌線でキハ150を見かける頻度が上がっていました。キハ150は3月のダイヤ改正で富良野線の運用から撤退しているので、車両をかき集めやすかったという面はあったと思います。
深川駅にのホームには支社の社員と思しき人が整理にあたっていて、次の列車に乗るための待機列が作られていてそこに並ぶ仕組みでした。留萌線の列車で到着してまた折り返す人も待機列の最後尾に並ぶ必要がありました。車両を増結し整理の要員を多数配置することでとにかく混乱が起きないように腐心していた様子が伺えました。
【3月31日の留萌線の編成(右が留萌方)】
キハ54 | キハ150 | キハ150 | キハ54 |
---|---|---|---|
501 | 2 | 1 | 510 |
キハ54 | キハ150 | キハ150 | キハ54 |
---|---|---|---|
506 | 9 | 12 | 509 |
最終日の編成にキハ150を組み込むことは否定的な意見も見かけましたが、キハ54よりキハ150の方が座席数が少なく空間に余裕があり定員も多いため、詰め込みには適していました。限られた数の車両で最終日に押し寄せる人を捌くにはキハ150の収容力が必要だったように思います。
ただし、4両連結されていても無人駅では先頭車しかドア扱いしなかったため、乗降に時間がかかり、日中の列車は1時間近く遅れていました。夕方から夜にかけて列車の間隔が開くにつれ遅延は解消していきました。
私は旭川に前泊して石狩沼田~留萌間の最終日に出向いて乗ったり撮ったりしてきました。留萌駅の乗車記念印は増毛廃線時に使用されていたキハ54柄のものが使われていました。
深川発朝2番の4923Dで留萌に到着してから、沿岸バスと列車を併用して峠下を経由して石狩沼田まで戻り、石狩沼田で少々のきっぷを買ってから4927Dで留萌に戻りました。
石狩沼田駅は常備券や補充券の発売駅としても有名で、恵比島・深川・留萌までの3種類の常備券の乗車券を発売していました。そこでこの日で廃止となる恵比島、留萌までの乗車券を購入しました。石狩沼田駅自体も3年後には廃止されることが決定しているので、今のうちにいろいろ買っておいた方がいいかもしれません。
留萌に着いてからみどりの窓口に並んで最終日のきっぷをいくつか購入しました。みどりの窓口は増毛廃線時のような営業時間の延長はありませんでした。最終日でも通常どおり16:20で終了でしたが、それまでに並んだ人までは対応してもらえました。
これらのきっぷは並び始めて2時間半近く経って購入できたもので、肥前山口駅最終日の熱気を思い出しました。入場券は窓口営業終了時刻を過ぎていますし、券番も1000番台に達してすごいことになっています。
きっぷを買ってからすぐに帰ってもよかったんですが、別に急いでもなかったので留萌発の最終列車(4932D)に乗ることにしました。最終列車の待機列は朝の時点で三角コーンにポールが並べられていて、私が並び始めた18時半ごろで100人近くが並んでいました。
何度か整理のため列移動をしたのち、発車の50分前となる19:30ごろから乗車が始まりました。改札口の発車案内のディスプレイにはささやかながら感謝のメッセージが表示されていました。しかし、112年の留萌駅の歴史が終わる最後の列車が発車するにも関わらず改札の駅係員はおらず改札も行わず、ずいぶんあっさりしたもんだなという印象は受けました(代わりに支社の社員はたくさんいましたが)。
留萌駅のホームは乗車する多くの鉄ヲタに、最終列車を見送りに来た地元の人、それを取材するテレビカメラや記者、それに警備の警官も動員されていて人でごった返していました。留萌駅がこんなに賑わっていたのは初めて見ました。
久々に開放された2番線から多くのペンライトと「蛍の光」の演奏に見送られ4932Dは留萌駅をほぼ定刻に発車しました。北海道民でも地元民でもないですが「紆余曲折あったけどこれで本当に終わってしまったなぁ…」と感慨深いものがありました。
その後、途中の峠下駅で留萌行き最終列車(4933D)と交換し、特にトラブル等もなく6分遅れで深川駅に到着しました。深川駅で到着した列車を撮影しようとしたら、あっという間に旭川へ回送されてしまいました。
深川駅に到着した多くの人が札幌方面に向かう中、私は連泊先の旭川へ戻りました。旭川に着いてからもすぐにはホテルに戻らず、留萌に到着した4933Dの回送列車が戻ってくるのを待ちました。
この列車は3月30日までは留萌駅に夜間留置され、翌日の留萌発朝イチの4920Dとなって深川に戻る運用でしたが、4月1日から列車は走らないので3月31日のうちに廃線区間からは出しておく必要がありました。twitterで留萌から戻ってくる4933Dの回送列車が22:10頃に真布駅を通過した情報が流れてきたので、思ったより早く戻ってきていることが分かりました。
22:50ごろに留萌から4933Dの回送列車が旭川駅に到着しました。留萌から1時間半ぐらいで一気に旭川まで戻ってきたと思います。同じように旭川駅で待っていた人が5~6人いました。運転所に到着後速やかにヘッドマークは外して編成はバラし、明日からまた何事もなかったようにいつもの運用に就くのでしょう。二度と留萌まで行かないことを除けば。
廃線後、留萌駅の赤い文字の看板は取り外され、駅舎内や駅構内への立ち入りはできなくなっているようです。一年後をめどに駅舎の取り壊しも始まるようです。また、名物だった留萌駅の駅そばは近くの道の駅で移転オープンしたという話です。そんなところも含めて近々廃線後の留萌の様子を見に行ってみる予定です。