続・吾輩はヲタである

JR券をメインとしたきっぷのブログ

道半ば

道半ば

東日本大震災から4ヶ月経ちました。被災をされた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。

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先日コレクションを眺めていたら、2年前に利用したこんなきっぷを見つけました。南気仙沼駅発の快速「南三陸2号」の指定券です。

Minamisanriku2 (南気仙沼駅に進入する「南三陸2号」)

私にとっては「南三陸」の車両がキハ110系に変更されて以来初の乗車でした。この時の指定席は満席で、途中からは仙台へ向かう客で通路やデッキに人が立っていました。A席は海側の席で、朝焼けに輝く穏やかな海が印象的でもありました。 

Minamikesennnuma (南気仙沼駅:平成21年10月)

私はこの前の日に大船渡線気仙沼入りし、気仙沼線に乗り換えて南気仙沼駅で降り、南気仙沼駅近くの宿に泊まってフカヒレ料理のコースを食べました。これはこの時出発前に撮影していた南気仙沼駅です。wikipediaの片隅に被災後の同駅の写真がありましたが、見る影もありません。あの穏やかだった海から悪魔のような津波が押し寄せ、街や駅を破壊したのが未だに信じられない感です。

JR東日本の社長は気仙沼線を含む被災路線について「責任を持って復旧させる」と言明していましたが、7月9日の毎日新聞にちょっと気になる記事がありました。

宮城県気仙沼市の菅原茂市長は「莫大な金をかけ鉄道を再建する意味はあるのか」と問題提起する。同市内を走る気仙沼線は、市内11駅のうち5駅の駅舎が完全に流失。市は復旧に向けて動き始めてはいるが、「鉄道が必要なのか、もっと議論があってもいい」と強調する。

市内で最も乗車人数が多い本吉駅でも、1日平均360人にすぎない。菅原市長は鉄道が持つ交通ネットワークの重要性は認めながらも、「道路やバスなども含め、市民にとって最も大切な交通機関は何なのか、じっくり考えたい」と話す。

本吉駅があるのは気仙沼市に吸収された旧本吉町であり、旧気仙沼市域では気仙沼線に対する依存度がさらに低いと言うことになります。気仙沼市のことだけ考えれば一理あると思います。大船渡線の一ノ関~気仙沼間は既に復旧していますし、今のスキームでは気仙沼線復旧に対して沿線自治体も応分の負担をしなければならないですから、費用対効果の悪い事業にお金を使いたくないというのは偽らざる本音かと推測します。

ただ、その視点だと市外から気仙沼線を利用して気仙沼へ往来する人に対する視点が完全に欠落しています。仮に気仙沼線を全線復旧させないならば、気仙沼線は「宮城県三陸沿岸を結ぶネットワーク」から「石巻線から分岐するただの盲腸線」と化します。そうなるとJR東日本としては巨費を投じて復旧させる意義は薄まります。

よって、気仙沼線の復旧要否は気仙沼市の一存で決められる話ではなく、他の沿線自治体(石巻市登米市南三陸町)を巻き込んだ議論が不可欠だと思います。その場において「不要」という結論が出れば廃線もやむなしでしょう。

私は国がJR東日本や沿線自治体の負担を少なくするスキームを作って、道路や港湾と同じように復旧を急ぐべきだと思います。その代わり復旧させた路線が無駄にならないよう沿線自治体や住民に対して鉄道利用を促進するよう知恵を出させ、それを実行に移す努力義務を課します。ダイヤを調整してバスと鉄道を接続させたり、乗継割引を設定したりして役割分担させるのもいいですし、どうせ最初から線路を敷き直すわけですから、住民が利用しやすい場所に駅を新設したり移設したりするのもいいと思います。

そんなわけで南気仙沼駅が元のように復旧するかは全く読めません。仮に復旧するとしてもまだ道半ばで、それが何年先になるかとんと見当も付きません。復旧したあかつきにはまた気仙沼線に乗ってフカヒレを食べに行きたいと思っています。