一昨年7月の「令和2年7月豪雨」で球磨川が氾濫し、肥薩線は鉄橋が流されたり駅舎や線路が浸水して壊滅的な打撃を受けました。現在も八代~吉松間が不通です。
4月現在で人吉~葉木間、一勝地~人吉間で、いずれも平日の通学時間帯のみタクシーによる代行輸送が行われています。葉木~一勝地間は代行輸送も公共交通機関もないので、公共交通機関で人吉へ行くには福岡・熊本・新八代・宮崎・鹿児島から高速バスを利用するしかありません。
先日JR九州が肥薩線の復旧費用を235億円と算出したという報道がありました。そこから復旧するかどうかや、復旧する場合の費用分担について国や熊本県と協議していくものと思われます。
復旧については熊本県は前向きですが、JR九州は膨大な費用負担が見込まれるうえに肥薩線が赤字路線であったため、バス転換こそ口にしませんが完全に及び腰です。株主の方向にしか向いてない今のJR九州の経営陣だったら赤字路線が被災して廃線にできればこれ幸いぐらいに思ってそうです。
昨年12月に不通となって休止状態の肥薩線・坂本駅付近を見に行ってきました。代行輸送は平日の朝晩しかないですが、八代市内から坂本駅前まで九州産交の路線バスがあるのでそれに乗って行きました。八代市内上限運賃が設定されているため運賃は200円で、平日9本・土休日6本走っています。
八代市街を抜け球磨川沿いに入るとで肥薩線の被害状況が見えてきました。球磨川の増水によって線路の下の路盤が削り取られて線路が宙吊りになっていました。もともとは右側の鉄橋の高さと同じぐらいの高さがあったんだと思います。
八代駅から20分ほどで坂本駅に到着しました。八代市と合併する前の坂本村の中心駅です。もともと静かなところなんでしょうが、バスがエンジンを止めると川の流れる音と時折車が通る音しかしなくなりました。とにかく人の気配がありませんでした。
どうやら坂本駅周辺一帯が被災し、住民は駅周辺には住んでいないようで、主がいなくなった家が半ば放置されていました。2階の窓ガラスまでなくなっているところを見ると、あの高さまで浸水したものと思われます。そして、この光景はどこかに似ているなと思ったら、東日本大震災の3か月後に訪れた石巻でした。
坂本駅は10年以上無人駅だったので備品は多くなかったんでしょうが、流されたり損壊したりしたようで何もなくなってがらんとしていました。
駅は運賃表の高さのあたりまで浸水したような跡がありました。これは私が立って手を挙げた高さと同じぐらいで、2mちょっとあります。
駅舎を抜けてホーム側に出てみました。肥薩線と並行して走る県道も同様に被災したため、復旧のめどが立たない肥薩線の線路上に県道を仮復旧させることになり、その工事が進んでいました。線路は剥がし、信号機や電柱は撤去し、ホームの上から盛り土が被せられていました。この写真の下右半分は盛り土が被せられる前のホームです。
撤去された信号機や駅名標は駅舎の傍らに無造作に放置されていました。こういうものも盗られかねないですから、どこかに移しておいたほうがいいと思うんですけどね。いくら人がいないとはいえ無防備すぎます。
坂本駅から葉木方には肥薩線の線路を剥がして仮復旧した県道が開通していました。おそらく代行タクシーもこの道路を走るんだと思います。単線の割に広く、きれいに舗装されています。この写真を見る限りだと鉄道が走っていた痕跡すら分かりません。
さらに200mほど葉木方へ歩くとようやく鉄道の痕跡を見つけました。鉄道での復旧を諦めてないぞという意思表示をしているかのように、舗装された道路上に鉄道の信号機が残っていました。
こうして歩いてみると、県道は復旧工事のための車両が通るために必要というのは理解しますが、こんな状態になってしまっては、復旧費用の負担を議論する以前に、道路である現状が既成事実化されてしまいそうな予感はします。
坂本駅は被災当時は無人駅でした。国鉄末期には業務委託化され、1991(平成3)年に坂本村による簡易委託駅に移行し、2008(平成20)年に無人化されました。手持ちのきっぷで坂本駅で発行されたものを探してみたら1枚だけ見つかりました。
平成5年の急行券です。この頃肥薩線には特急列車こそなかったものの、熊本~人吉間の急行「くまがわ」が4往復、博多・熊本~宮崎間を吉都線経由で結ぶ「えびの」が3往復走っていて、坂本駅はその停車駅でした。そして、肥薩線は今と違って都市間連絡の役目を十分に果たしていました。
2004(平成16)年に急行「くまがわ」が廃止され、特急化されたのちも坂本駅は優等停車駅であり続けましたが、現地の様子を見てみると、坂本駅を含む被災区間が鉄道として復旧し、再び列車が走るようになるのはかなり厳しいんじゃないかという印象を受けました。今後の議論の行方には注目しています。